Jリーグ入会、J3参入のご報告

2013/11/19

本日(11/19)行われましたJリーグ理事会において



藤枝MYFCのJ3入会審査が承認され、

藤枝総合運動公園サッカー場会議室にてJリーグ大東チェアマンより電話報告を頂きました。



これによりJリーグ入会と来季Jリーグディビジョン3への参入が決定いたしました。





2009年に藤枝MYFCが創設されてから4年半、志太榛原地域に初のJリーグクラブが誕生しました。



皆様の支援あっての結果です。

誠にありがとうございます。



今後ともご支援のほど宜しくお願い致します。





「代表小山のコメント」



Jリーグに昇格する事が本日のJ理事会にて承認され、来季はJ3の舞台での戦いができる事になりました。



関係して下さった方々、支援者・応援者、地域の方々に心より感謝しております。

また、89年にわたり地域サッカーを紡いできて下さった先人たちにも改めて感謝致します。



ここ静岡県志太榛原地域サッカーの歴史は1924年(89年前)、藤枝東高創設時に初代校長の錦織(にしごり)先生が「サッカーを校技にする」と英断されたことから始まりました。



その後、何度も全国優勝を重ね、数多くの日本代表選手が生まれ育ちました。

最近で言えば、中山さん、名波さん、山田暢久選手、長谷部誠選手等々です。

由緒ある地域サッカーの90周年という節目に、Jリーグクラブ創設という新しい歴史を刻む事ができ、本当に嬉しく思います。



一度はこの地域にもJリーグの風が吹きました。藤枝ブルックス(現アビスパ福岡)です。J1しかなかった事、スタジアムがなかった事などから移転せざるを得なかったと聞いております。

当時の状況に比べれば、Jリーグの発展や時代に大変恵まれた私たちクラブのJ3参戦は幸運以外の何ものでもありません。

まだ何も成し遂げていませんが、お陰様でスタート地点に立たせて頂くことができました。



クラブの理念である「咲かせようスマイル つなげようスポーツで」を実現すべく、またクラブ行動指針である「紳士(真摯)たれ」を改めて見つめなおし、

明日から挑戦者として、謙虚に歩んでいきたいと考えております。


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