エル ゴラッソ+ J2版 [昇格組・藤枝のキーマン]いまだ“成り上がり”の途中

メディア 2023/02/24

エル ゴラッソ+ J2版(2月17日号)に横山暁之選手のロングインタビューが掲載されました。その際紙面の都合で載せきれなかった部分を含む完全版を、この度特別公開させていただくことになりました。

INTERVIEW
MF 10 横山 暁之(藤枝MYFC)

13得点8アシストの数字を残し、藤枝をJ2昇格に導いた横山暁之。
だが、成功までの道のりは平坦ではなかった。
無所属期間を経てJ3ベストイレブンまで上り詰め、
そして今季、初のJ2に挑む25歳が歩んだ軌跡とこれからに迫る。
取材日:1月26日(木) 聞き手:前島 芳雄

苦悩の学生時代

――子どものころはどんな選手でしたか?
「小学生のころは地元のクラブチームでやっていて、町田市のトレセンに入るのが精一杯ぐらいの選手でした。うまさはあったと思いますが、体が小さかったです。ただ、ヴェルディのスクールにも通っていて、そこのコーチに気に入ってもらえて(ヴェルディの)ジュニアユースに入ることができました」

――そこからユースへの昇格は順調だったのですか?
「いえ、全然。中学時代はあまり試合に出られなかったです。身長は中3でも150cm台半ばぐらいでした。ただ、(プレーに)ヴェルディっぽさはあったと思うので、“(ユースに)上がりたかったら上がってもいいよ”ぐらいの感じで言われた記憶があります(笑)。実際、ユースでもほとんど試合に出なかった記憶しかないです。同期には三竿健斗(サンタ・クララ/ポルトガル)とか安在達弥(沼津)がいて歯が立たなかったですし、一つ下には神谷優太(清水)や井上潮音(横浜FC)、その下には渡辺皓太(横浜FM)とか、僕とタイプが被る選手が多かったです」

――とは言え、テクニックでは負けない自信があったのではないでしょうか?
「そんなこともないですね。高校のころはまだ自分を客観的に見られていなかったというか、自分のストロングポイントとかほかの選手と比べて自分が勝っている部分を自覚できていなかったです。監督には『アイディアや創造性はある』と言ってもらえていたのですが、自分の中の基準が低かったというか。自分では全力で頑張っていたつもりでしたけど、たぶん客観的に見たら何も分かっていないやつだったかもしれないですね」

――東京Vに入ってよかったことはありましたか?
「ヴェルディにいると、プロになるためにサッカーをやっていることを常に意識しながら練習できます。周りにすごくうまい選手がたくさんいたので、プロになるための基礎はかなり身につけられたと思います」

――そして、次の進路として北陸大を選びました。
「心のどこかで『プロにはなれないのかな』という気持ちがあったかもしれないですが、やっぱりサッカーは好きだったので、指導者になることも頭に入れてサッカーの勉強をちゃんとしたいと思いました。とは言え、選手としてもまだ可能性は感じていたので、サッカーも本気でやれて勉強もできてとなると、北陸大のスポーツコースがちょうどよかったです。北陸大のサッカー部は、関東の大学にいったらサブになってしまうような選手が集まっていました。“下克上を起こしてやろうぜ”みたいな雰囲気があり、当時は北信越では結構強かったです。全国大会に出て名前を売り出せるチャンスもあるので、それもあって北陸大への進学を選びました」

――大学ではすぐに試合に出られたのですか?
「北陸大ではすごく評価してもらって、試合に出られました。自分としてもようやく、プロになるためにやらなければいけないことを考えて行動できるようになったと思います。授業で栄養の勉強をして、トレーニングのことも考えて体作りにも取り組みました。ただ、全国大会に出られたのは1年のときだけで、いくつか練習参加はさせてもらいましたが、プロから声はかからなかったです。しかも4年生の前期が終わったあたりで左膝の半月板を痛めてしまって…。縫合手術をして、復帰できたのは3月の卒業式のころでした」

――厳しい状況でしたが、それでもプロになる夢はあきらめなかったのですか?
「そうですね。大学でかなり自信がついて、自分でもうまいと思っていました。いまはあまり思っていないですけど(笑)」

――具体的にはどんなプレーに自信をもっていたのですか?
「いまと変わらないですね。中盤でボールをもらったら必ず前を向いて、推進力をもってボールを運ぶとか、そこからのパス、シュートには自信がありました。だから、Jリーグでなくてもどこかでサッカーはできると思っていましたし、(サッカーを)辞める選択肢はなかったですね。北陸大の越田剛史総監督(現・顧問)や西川周吾監督(現・総監督)が『(大学卒業後も)そのまま寮にいていい』と言ってくれて、練習にも参加させてくれて本当にありがたかったです。おかげで4月から金沢の練習に参加できたのですが、今度は膝にパンパンに水が溜まってダメになってしまいました。その後、またリハビリに戻った時期は、先が見えなくてキツかったですね。それでも9月に復帰して、JFLのクラブにも(練習参加に)いって、11月ごろに藤枝にきて、そこでなんとか(加入が)決まりました」

――藤枝にきて、やっと認められたわけですね。
「本当に、やっとですね。当時の監督は石﨑(信弘)さんでしたが、たぶん石さんが拾ってくれたのだと思います」

須藤監督の下で得た出番と自信

――念願がかなってプロの世界に入ったわけですが、そこから初出場まで1年半かかりました。また苦労がありましたね。
「まず、チームにうまく馴染めなかったです。選手が30人ぐらいいて年齢もバラバラで、当時はベテラン選手も多かった中で、自分を表現することがうまくできなかったです。監督が須藤(大輔)さんになるまでの1年半は、サッカー人生の中で一番評価してもらえなかった時期で、その意味ではしんどかったですね。中学、高校のころは試合に出られなくても自分のもっているものは評価してもらえていました。1年目のときは石さんに『攻撃がどんなによくても、守備ができなかったら試合には使わない』と言われて、自分でも意識して取り組んだのですが、まだ足りないと言われました。でも、練習で守備を頑張ったらちゃんと見てくれていましたし、それが成長につながったと思います」

――監督からの評価が厳しい中でも、谷澤達也選手(21年限りで現役引退)には認められていましたよね。
「ヤザさん(谷澤)は、その時期の救世主でした。『お前はできる』と言ってくれて、ほかの選手にも僕のことをよく言ってくれたので、エダさん(枝村匠馬/21年限りで現役引退)も同じように僕を評価してくれました。そのおかげでだんだん周りの見方が変わってきて…。本当に支えになりました」

――加入2年目に就任した倉田安治監督からも、厳しい評価をされていました。
「練習試合で、開始15分で交代させられて号泣した思い出があります(笑)。ただ、2年目にはチームの中で少しずつ自分を表現できるようになって、ほかの選手ともうまくコミュニケーションをとれるようになりました。自分の特長も出せるようになって、認めてくれる人は増えました」

――そしてその夏、須藤監督が就任して劇的に環境が変わりました。
「須藤さんのサッカーが自分の特長を生かせるスタイルだったこともありますが、一番心強かったのは、須藤さんにかけられた言葉でした。(評価方法が)減点方式の監督が多い中で、須藤さんは最初に『(選手個々の)ストロングポイントを見ていく』と言ってくれて、すごく勇気づけられました」

――須藤体制の初戦で先発の座をつかみ取り、ついにJリーグ初出場を果たしました。
「緊張して何もできなかったということはないですが、やっぱり練習試合とはまったく違いました。雰囲気やスピード感など、公式戦の試合に出ないと分からないことが多くて、すごく学びがありました。だからこそ、(先発2試合目で)ケガをして出られなくなったときは悔しかったですね。ただ、自分にしかできないことを表現すればオンリーワンになれると感じたので、ポジティブに考えられるようになりました」

――昨季はJ3リーグ戦31試合に先発し、13ゴール8アシストの戦績を収めました。J3ベストイレブンにも選ばれ、一気にブレークを果たしました。
「チームのJ2昇格を含めて、結果を出せたことも周りから評価してもらえたこともうれしかったです。特に、こうやって特集を組んでもらえるのはうれしいですね(笑)。ただ、あまりそれに左右されたくないというか、基準をそこに置きたくない気持ちもあります。試合に出られなかった時期も充実していなかったとは思っていないですし、“その時々でベストを尽くせていたか”が自分の中での判断基準です。昨季はサッカー人生の中で一番継続して試合に出た1年でしたし、身を削りながら毎週を戦っている感覚をもててすごく楽しかったです。“オレ、こんなにサッカーに打ち込んでいるんだ”という充実感を、初めて経験できました」

――2年目はケガが多かったですが、3年目の昨季は激減しました。取り組みの成果ですか?
「そう思います。パーソナルトレーナーをつけて、食事の面も見直して、地道にやったことがよかったと思います」

――昨季、特に成長できた部分はどこですか?
「シーズン初めよりゴールに向かう姿勢が強くなって、相手から見て怖い選手になれたと思います。中盤でのプレーではもともともっているものを出した感覚ですが、相手の最終ラインに対して仕掛けていく、クロスに対してボックス内に入っていく、点を取るといったところは、アイディアやバリエーションも含めて成長できた部分と思います」

やっぱり日本代表に選ばれたい

――話す言葉も変わりましたよね。ビッグマウスではないですが、大胆なことも普通に言うようになったと感じます。
「そうですか? でも、非現実的なことは言えないですし、目標も自分で達成できる自信がないと目標にならないので、そういう意味では自信がついたのかもしれないですね」

――昨季の最終節で昇格を決めたあと、「J2でも突出した存在になりたい」とおっしゃっていましたが、その言葉も自信の表れだったのですか?
「そうなれる自信があるから、言ったのだと思います」

――以前、「J1をスキップして海外にいけるならいきたい」ともおっしゃっていました。
「やっぱりサッカーをやっている以上、日本代表に入りたいじゃないですか。次のW杯に出たいですし、そこから逆算したら、ヨーロッパでプレーすることはマストになると思います。ギャンブルではないですけど、勝負をかけなければW杯には出られないと思いますし、J1を目指すより早く海外にチャレンジしたいと思っています。そのために今季はJ2で飛び抜けた活躍をしなければいけません。来季もJ2でプレーするようだったら、代表には入れないですよね。そのぐらいの覚悟と危機感をもって取り組まなければいけないと思っています」

――ユースで悔しい思いをして、大学4年次に大ケガを負い、どん底からはい上がってきた過去がいまのご自身を作っているのではないでしょうか?
「成り上がってきた選手として注目してもらえるのはうれしいですが、日本代表に入ってやっと“成り上がった”と言えると思っています。藤枝もまだJ2の最下位に予想されるようなクラブですし、まだまだ満足はしていないですね」

――大学時代とプロになった現在を比べて、どういったところに変化を感じていますか?
「自分の中で“うまさ”の定義が変わったかもしれないですね。ボールを取られないとか、相手の逆をつく、足技を見せる、小野伸二さん(札幌)のようなトラップをするとか、自分も得意なほうだとは思いますが、飛び抜けているわけではありません。でも、そういう能力を試合の中で発揮できる力は、僕の強みだと思っています。練習だけうまい選手ではなくて、試合で生きる選手になった自信はありますね。今後も頭の中ではもっともっと進化できると思いますし、どう崩すか、どう点を取るかのアイディアや引き出しは日々増えています。そこはもっと強みにしていきたいです」

――代表に入るためにも、そこで差を見せたいですか?
「そうですね。でも正直、そこだけで勝負するのは無理だと思っています。だから、一番度胸のある選手になりたいですね。W杯を見ていても、ああいう緊張する試合で1対1を仕掛けるのはある意味“賭け”だと思います。ボールを取られたら、カウンターを食らいます。無難に外にパスを出せば(ボールは)取られないけど、中に突っ込まなくてはいけないです。そこで迷わずチャレンジして、なおかつ成功させられる度胸というかメンタリティーが、(藤枝の)チームの中ではあったと思います」

――例えば、W杯でPK戦になったとき、チップキックができてしまうような選手になりたいということですね?
「そうそう! そうなりたいです。でも、まだ無理です(笑)。そうなるには技術的なバックアップも自信や度胸も必要ですし、やらなければいけないことは多いですね」

――ご自身の中で、藤枝とはどんなチームですか?
「須藤さんはいつも、サッカーやその中で戦う姿をとおして観ている人に勇気や希望を与えたいと言っています。僕自身も、自分がはい上がってきた過去も含めて困難に立ち向かっていく姿勢とか、強敵に立ち向かっていく姿勢を見せられたらいいと思っています。子どもから大人まで応援してくれている多くの人に、“藤枝の選手たちのように自分もチャレンジしよう、頑張ろう”と思ってもらうことが、クラブとしての目標だと思います。そのための“超攻撃的サッカー”です。『絶対に勝ちます』とは言えないですが、『絶対に感動を与えます』とは言えると思います。そういう姿勢を毎試合見せていきたいと、選手もみんなが思っています」

――サッカーの内容面で見てほしいところはありますか?
「前からプレッシャーにいって自分たちがボールを持っている時間を増やして、ミスを恐れずどんどんゴールに向かってプレーしていくところを見せたいですね。そこでボールを失っても、全員ですぐに奪い返しにいきます。みんなのミスをみんなでカバーするところも見てほしいです。ハードワークはすごく意識していますし、守備での自信も前よりはついてきました」

――須藤監督がよく「ほぼ相手側のハーフコートでサッカーをしたい」と言っているように、相手を圧倒して勝つサッカーですね。
「そうです。圧倒したいですね。僕、“圧倒”という言葉が好きなんですよ(笑)。チームとしても圧倒したいし、個人としても圧倒的な存在になりたいです。チーム全体でいい準備はできていると思います。前評判は高くないでしょうが、それを覆すサッカーや戦う姿勢を、1年をとおして見せていきたいです」

プロフィール

横山 暁之(よこやま・あきゆき)
1997年3月26日生まれ、25歳。東京都出身。
171cm/64kg。
東京V.JY→東京V.Y→北陸大を経て、20年に藤枝に加入。J3通算37試合出場13得点。昨季のJ3ベストイレブン。

 

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